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9月オンラインゼミ振り返り1️⃣

オンラインゼミhttps://jun.edusalon.net

⚫️教育研究の調査は無作為でやりますか?

→無作為はできない。もちろん統計上は無作為であるべき。でも、実質上は無作為ではできない。国の機関でさえ無作為ではできない。無作為で選んだとしても、答えられる人のデータしか取れないから。答えてくれる人というフィルターがかかってしまう。自然科学の研究ならば、かなり無作為に近いことはできるが、教育の世界で起こる調査は蓋然性、すなわちもっともらしさを高めるしかない。答えてくれる人に頼み、できるだけ分母を増やして蓋然性を高めるしかない。どこまでできるかについては、「できる限り」。

 

⚫️『学び合い』はホモサピエンス生存戦略でDNAに組み込まれているもの。今の一般の教育はそうなってはいない。元から持っているものなのになぜ逸れていったのか?

→近代公教育が成立した時期と身分制度が崩壊した時期は一致している。徒弟制は代表で、教える人が教えられる人より多かった。ところが身分制度が崩壊して何になるかわからない中、何でも網羅的に教えられる人はいなかった。そこで初めて師範学校ができて教師という職が生まれた。当初は50人くらいの子どもたちを一人の教師が教えていて、一斉指導にせざるを得なかった。教師の本は分厚くて子どもたちの本はペラペラだったから、大事な部分は教師が板書し子どもたちは写すしかなかった。遣唐使の写経と同じ。1950年代から親が子どもに金をかけるようになり、塾予備校が増えた。そこで『学び合い』をやればよかったが、大きな組織は一度固まるとそれを変革することができない。だから今に続く。だけど、にっちもさっちもいかなくなってるから、『学び合い』も受け入れられている。

⚫️アウトプットこそ教育効果が最も高いというデータはあるの?

→ある。30年前くらいにアブラナをスケッチで記録した場合、言葉で記録した場合、両方で記録した場合でどれが一番記憶に残るかという研究をやった。結論は言葉で記録した場合が最も記憶に残る。記憶について我々は写真のように記録していると錯覚しているが、実は全て言葉に変換している。画像データはやたらと容量が大きい。テキストは少ない。すなわち、膨大な生データから抽出している。強制的に言葉に変換するわけだから、スケッチより言葉の方が記憶に残る。スケッチと言葉の両方でやれば良いと言われそうだが、そうすると言葉の部分が容量的に少なくなる。また、カニを観察させたとき、カニの各部分の名前を教えると記憶が定着する。言葉にすると長期記憶に進む。だから、人に説明するには言葉にしなければならない。その過程が記憶定着につながる。