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毎日更新チャレンジ^_^

大量に

●熱意はお金にあわられる。
●「子どもには無理」と思っても、ちゃんと正しいことを言えばわかる子はいるから、信じて続ける。
●周りの人のために何かをやるのは義務ではない。あくまで己のため。
●『学び合い』は平均点ではなく分布。分布は生涯楽しく生きるための成績。
●自分が見捨てられないために、はじめの一人から容易に見捨てない。
●自分がここにいるのが得であるとわかるのが『学び合い』。
●広く学んでも深みは生じないが、深く学べば自然と広がる。深くわかる人を増やせば良い。
株式投資は非常に単純なことを愚直に守るだけ。付け焼き刃の知識で深みに手を出すのは、リトルリーグで活躍したからと言って、大リーグに入るようなもの。
●物理をゲームと考えられる人はできる。ゲームはリアルの世界とは違ったルールで動く。「角はなぜ斜めしか動けないの?」と考えたら、将棋はできない。「そういうもんだよ」と納得できる人が理系の人。「平行線は交わらない」と言われて「見たことあるの?」と思える人が普通の人。
●集団が大きくなると慣性が働く。新しい何かを始めるときに、説得しなきゃいけない人が増える。5人集団なら1人で済むが、100人なら10数人必要。だから、わからない人を説得せず、わかる人を固める。そこをすっ飛ばすと慣性が大きくなってしまう。
●西川研がうまくいっているではダメ。それの考えに賛同してくれる人をどれだけ生み出したかが大切。リーダーがいなくなった後にも続けていくためには、願いと理論が必要。
●クラスが荒れることを望む子は1人もいない。荒れるしかないから荒れている。上位の子が教師を見切ると、マジョリティが見捨て始めて、全体がそうなると規格外の子が安心して暴言を吐くようになる。やはり、荒れは教師の責任。
●褒めて育てるより、本人が上達したいと思うことの方が大切。本人さえそう思えれば、他人の評価は気にならない。校長に褒められても、どこかしらじらしく感じるし、褒めてほしいとも思わない。志望校があるのに、先生が褒めてくれないと受験勉強をやらないなんていうバカモノはいない。
●PTA活動への参加を断る→戦術。断っても大丈夫と思える集団を作り、職員全体の労働環境を維持する文化を作る→戦略。
●首尾一貫した戦略がないと、個々の戦術が矛盾する。
●その子を変えたいと思うと、教師の目線がそこに行ってしまい、それを察してしまう子(圧力に感じてしまう子)が出てしまう。困っているその子ではなく、動いてくれている2割の子に目を向けて感謝する。
●コミュニケーションが苦手な子をどうにかするのは『学び合い』でも無理。でも、その子のことを理解できる子を3人作ることは『学び合い』ならできる。
●「班は作らなくて良いの?」
→人は環境を強いられると、関係を縛られると喧嘩する(夫婦喧嘩が良い例)。教師が班を決めたら、その子と関わらなきゃいけない。『学び合い』は関わる人を選べるし、関わらなくても良いという選択が自分でできる。
●『学び合い』はその他のあらゆる実践と比べて「マシな」やり方。「最高」と書くと欠点はないのか?というロジックで攻められるけど、「マシ」なら「他にできるやり方あるなら教えてくれる?」と反論しやすい。
●一斉授業で子どもたちに自由な発想をやらせると収拾がつかなくなる。『学び合い』がそうならないのは、最終目標地点を決めてあるから。
●教育は基本的には保守的。他人の子を預かっているわけだから、そうそう革新的なことばかりでは困る。ただ、保守的な人が大部分で良いが、その中に革新的なタネを持っていない集団は緩慢に死ぬ。
●一律で物事を始めると、だいたい骨抜きになる。学校は全員一致しないと進めない組織。合わせどころはどこかを考えたときに、反対する人に合わせる案しか会議で決められない。だから、広げたいなら一律にではなく、やれる人からやれば良く、成功すればそれが広がる。