「私がいなくなるくらいでダメになる『学び合い』ではない。」
「その程度でなくなるならば、なくなればよい」
越後の会で、ズシンときた言葉。でも、なんかすんなり入ってきた。「そうだよな」と。
サッカーで誰か1人が目立つような試合はだいたいロクな試合ではない。キーパーが大活躍!なんてことになれば、目も当てられない試合内容だ(前の連中は一体何やってるんだ??という意味で)。
クラスでも同じことが言えるのかなと思う。頼りになる担任って頼もしいと捉えられがち。でも、頼りが依存に変わった時が危ない。依存したら、そこが上限になる。依存は子どもたちの可能性を奪う気がしてならない。
「担任は何やってる?」と子どもたちに聞いたときに、「う〜ん、何かやってるんだろうけど、よくわからない」と言われるような状態が理想かな。目立たないけど、感じる程度くらいの。