自分の担当するクラスの子たちを連れて、静岡駅まで校外学習に行ってきました。障害ゆえ生活経験が少ないので、バスの乗り方や時刻表の見方など、事前に調べてありました。
行きのバスの中のこと。運賃は190円、子どもたちには個々で100円玉2枚で200円ずつ渡してあります。両替も経験させたいという意図があったので。
降車する時に1人の子が、なぜか100円2枚とも両替して10円玉が20枚になりました。100円1枚だけ両替すれば良いという認識があったかどうかはわかりませんが、単に1枚入れると10枚になって返ってくることを不思議に思ってやったのかもしれません。ここまではまあ良し。
問題はその後。10円玉20枚のうち、1枚残してあとは全部支払えばいいのですが、そこがどうもわからないらしく、同僚の先生が慌てていました。事前学習で200円−10円=190円は計算できていたのですが。すなわちその子は算数の計算としては理解していたわけです。「状況が変わると、知識として待ち合わせていたものでもわからなくなることがある」をまざまざと目の当たりにした瞬間です。ストリートチルドレンが商売はできるのに、式で書いたらパッパラパーになる話を思い出しました。
算数ができないと「買い物ができなくなって困る」と言われることがありますが、「このコンビニ弁当は5万円です」と言われた時に「そんなわけないでしょ?」と思える感覚があれば十分な気がします。授業で200−10=190ができなければ、仕事上正しますが、少なくとも彼らの人生にとって大切なものは何かを見失わないようにしなきゃいけないなと思います。