学びの共同体を実践してた頃。先進校へ視察へ行き、そこでアドバイザーの方が「班を組むのは学びを強制するため」と話していたのを思い出した。
そのうえで背伸びとジャンプの課題を強制した。「苦手な子ほど、簡単な問題を嫌う、飽きる」という視点は、感覚的に理解できた。
研修では教師のつなぎや戻し、生徒の表情や声のトーンなど、さまざまな情報から何かを感じ取り、それらについて議論した。
ただ、「教師の仕掛けや応対などが最適だったか」についてはよく議論されたが、不思議と「その班編成がすべての子にとって最適であったか」「その課題がすべての子にとって最適であったか」ということが議論になることは、かなり稀だったように思う。
誰一人取り残さず、一人の例外もなく、最適な学びを保証する。これは我々教師がやらなければいけないこと。強制には限界があると悟った。
強制は子どもたちを縛る。ただ、それによって教師自身も縛られることを忘れてはいけないなと思う。